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書き下ろし短編小説
『隣のプール』



 いくら金に困っていたとしても、紹介されたバイトの仕事内容をしっかり聞いておくものだ。
 このような仕事内容だとは……
「まぁたいていは初めての人ばかりだから緊張もするよね?」
 バイト先の先輩は年下のようだが落ち着いたものだ。
「逆にさぁ、死体洗いなんて滅多にできるものじゃないって思えば気が楽になるよっ」
 そんな事言われても、これから一生そんな経験はしたくなかったのだが、すでに現場にいるのだからしかたがない。
 覚悟を決めたのだが……
「ひっ!」
「ひゃっひゃっひゃっ」
 年下の先輩は愉快そうだった。プールに浮かんでいた死体の一つが、勝手に動いたように見えたのだ。
 そもそもいま実際に作業をしていて思っていることは「こんなバイトはありえない」という知識と、目の前にその仕事が実在するという矛盾にほかならない。
 死体洗いの仕事というのは都市伝説ではなかったのか? そう信じていたのだが……
 何故こんなことになったのかを簡単に説明する。
 そもそものはじまりは三年前にさかのぼるのだが、今から思うと馬鹿馬鹿しいのだがパチスロにはまり計6社から300万円以上を借り入れてしまった。不思議なもので、あのときは簡単に返せる気になっていたのだ。一日5万も6万も負けてもなにも思わなかった。そのうえ、三年たったいまでもその借金が減っているどころか利息やらなにやらで借金が500万以上に膨れがっている。もうどうしようもないのだ。目が覚めたのは半年前で、パチンコ屋の景品交換所にわずかな景品を持って並んで順番を待っているときに、急に寒気を感じたのだ。「このままじゃいけない」と。
 もっとも目が覚めたからといって状況はいっこうに変わらず、すでに毎月の支払いだけで15万円近くになっているものだからバイトもより高額なものをするようになる。ちなみに風俗の仕事を取り立ての人間から何度も勧められたがそれだけはやりたくなかった。ちなみに、私は女だ。
「ひゃっひゃ。どうせ動かないんだから気にすることないって」
 ちなみに、この年下の先輩も女性だ。しかし性別は同じかもしれないが、頭の中味というか思考力というか感覚が同じ人間であるとは到底信じられなかった。
 「もう三日目なのにいつまでも慣れないよね。三日持ったほうが凄いけれど。ひゃっひゃ」
 こういう場合、たいていいままでは不快に思うものだが、今回は状況が状況だけに安堵感を感じているのが自分でも不思議に思う。黙っていられた方が怖い。たぶんこの年下の先輩も怖いんだろうなぁと漠然と思いながら作業を続ける。
 作業というのは二つしかない。洗う、そして運ぶ。
 十畳くらいの広さのプールに多少ピンクがかった液体が満たされ、そこに数十の死体が浮いたり沈んだりしている。都市伝説ではそのプールの液体はホルマリン液だかアルコール液だかでとにかく臭いが強烈という話があるのだが、ここでは不思議と臭いはほとんどしなかった。都市伝説なんてあてにならないものだ。もっとも、何度も言うが聞いた話の範囲ではこのような仕事そのものが存在しないはずなのだが……
 プールに浮いている死体を物干し竿みたいなただの長い棒で引き寄せる。これも聞いた話と違い、引っ掛ける金具などがついた棒はつかわない。死体が傷つかないようにするためだろうと思うが、こっちのほうが気分的には罪悪感がない気がする。
 問題は洗うときだ。
 引き寄せた死体をプールから引き上げるのだが、プールの引き上げ場はプールの液体の水位よりも低くなっていて、棒でそこまで死体を持っていく。見た目は、プールの一角に棺桶を置けるスペースがあるみたいなものだ。そうしてそこまで持っていくと力仕事は終りで、後は電動か何かで棺桶スペースと同じ大きさの台がせり上がってきて死体ごと持ち上げる。
 死体は全部髪の毛が剃られていて眉毛も陰部の毛も剃られている。今回は男性だった。この台にあがると不思議と恐怖は感じない。逆に、棒でつついて棺桶スペースに誘導している時が一番怖い。なぜなら、死体だとわかってはいても、人間としてはありえないくらい長時間顔を液体につけて微動だにしないからだ。知識では死体だとわかってはいても、本能的に生きている人間が溺れているのを連想するからだろうか、ときたま死体の体がビクッと動いたように錯覚する。常識ではどうしても溺れている人間を連想させられるのだ。生きている人間の苦しんでいる状況しか連想できない。
 ただ台に上がった死体は、どちらかというと親戚の御婆ちゃんのお葬式のときの火葬される前を連想させた。つまり死んだ人間の当たり前の状態というか体勢というか雰囲気であって、常識的に死体らしい雰囲気なのだ。
 だから死体は怖くない。ただ、その段階では今度は一緒にいる人間のほうが怖くなるのだが……。なぜなら、ようやく動かない死体と頭で認識できた状況で、その場の雰囲気にそぐわない言動をするからにほかならない。
「どうせ死ぬんだったらこっちの面倒ないように自爆でもすりゃいいんだよな。ひゃっひゃっひゃ」
 死体を上げるたびに同じようなことを言うのが儀式だ。たまったものじゃない。
 洗うこと自体は面倒はない。洗うというよりも液体を拭くだけだからだ。タオル状のもので液体を拭くのだが、液体がタオルに染みることはないし、死体にワックスでもかけられているかのように拭うと液体は簡単に取れる。何かで見た水銀のようだ。この液体は臭いはないが、もしかしたら有害なものなのかもしれない。もちろん、厚手のゴム手袋と同じく厚手で大きなゴムエプロンをつけているから大丈夫だとは思うが。しかしマスクは支給されていなかった……
 液体を拭い終わると、担架を持ってくる。足の長くて車輪付の手術用のものみたいなやつだ。この段階でさきほどまでのお葬式の気分は消え、またもや恐怖がもどってくる感覚に襲われる。
 見た目、まるで手術に失敗して死んでしまった人を連想させる。そういう人を見たこともないし、そもそも人の手術に付き添ったことなど一度もないが、とにかく連想させる。特に、死体を乗せて担架を押しているときにガラガラ車輪の音が床に響く音を聞くと、本当に病院で手術をする人を運んでいるという状況そのものなので、いまにも担架の上の死体がなにか呻き声を上げそうで怖い。
 死体をエレベーターの前で係の人間に引き渡して一仕事が終りだ。係の人がエレベーターで死体を運んでいく。ドアが閉まるのを見届けるとその場にはもう用はないのだが、何故か毎回エレベータの音が聞こえなくなるまで、エレベーターがとまりチンッとドアの開く音が聞こえるまで見守ってしまう。そしてガラガラと担架を移動させる音を聞いてようやくその場を離れるのだ。
 何故か毎回もしかしたらエレベーター内で何かあって「ギャァ!」とか聞こえはしないかと心配してしまうのだ。そんなことはないはずだが、かといって見守るのをやめる勇気もない。
 もしかしたら何もなかったことを確認して「やっぱりあれはただの死体だった」と無意識に納得しているからかもしれない。いや正確には「今回も・・」という言葉が最初につくのだが。
 一仕事が終わると、あとは次の要請があるまで休憩室でひたすら待つ。休憩所にはテレビや雑誌類もあるし冷蔵庫の中には飲み物もあるのだが、この仕事でなにが一番嫌いかというとこの待ち時間だ。一時間ごとの場合もあるし、半日待ってようやく要請があることもあるのだが、とにかくこの待ち時間が一番精神的に辛い。なぜかというと……
「身体によさそうな気がするんで、いつかあのプールの液を飲んでやろうと考えているんですわ。ひゃっひゃ」
 年下の先輩の、この本気なのか冗談なのかわからない喋りがとにかく辛い。
 そう、最初は「冗談なのか本気なのか!?」とある程度は心に余裕もあったのだが、三日目の今では「正気なのか? それとも……!?」と考えている。壁一枚隔てた隣には死体がプールに浮かんでいるのだが、この場では生きている人間のほうが恐怖だ。
 そして今日もとんでもないことを言いだした。
「そういえば、このバイトの金ってなんに使いますの?」
 急に真顔で聞いてきた。一瞬どう話そうか迷ったが、
「いろんな支払いとかで全部消えると思う」と差し障りのない返事をした。何故かまだ、自分は多額の借金をかかえて首も回らないのに負けを認めていない部分というかプライドがあるらしいと気がつく。
「ほぉ。借金ですか。それは頑張らないといけませんなぁ。ひゃっひゃ」
 歳相応にズケズケ言う。
「そっちは?」
 実は、お互いに顔写真付のネームプレートを首からさげている。そこには大きく名前も明記されているのでお互いの名前は知っている。この年下の先輩のネームプレートには『櫻笠(さくらりょう)』と明記されている。写真写りはいいほうだ。ちなみに私は近藤みちる。
 しかし初日に、お互いの名前を呼ばないように口にしないように、年下の櫻先輩に言われる。「縁起が悪いから」という説明で納得したのだが、櫻本人の言動を見るにつけ、言うとおりにするこそが縁起が悪いのでは? と根拠はないが若干の不安も覚え始めている。
「実はなぁいま腹に子供がいるんですわ。生まれてくる子供のためっちゅうわけですな。ひゃっひゃっひゃ」
 思わず、ぎょっとして櫻のお腹のあたりを凝視してしまう。櫻はスタイルがよいので気がつかなかったが、たぶんニ・三ヶ月くらいだからだろう。でも常識では考えられない。そりゃぁ身重で風俗関係の商売をするよりは体力的にラクな気もするが、いくらなんでも胎児への悪影響は避けられない気がしてならない。実際、目の前の未来の母親の頭には悪影響を及ぼしていると思う。
「だ、旦那さんも承知で!?」
「旦那はなぁ。実は一年前に死んだんですわ。ひゃひゃ」計算が合わない……
 こんな本気とも冗談ともつかない事を平気で言うのだ。もしかしたら単にからかわれているだけなのかもしれないし、もしかしたらこの年下の先輩も怖いのを我慢するために虚勢を張っているだけなのかもしれない。愛想笑いもする気もなく黙る。他ではともかく、この場所では笑っていけない気がするからだ。
「ひゃっひゃ。それにしてもラクして高収入てええですね。この半年で、あと5年は遊んで暮らせるくらい金たまりましたわ。ひゃっひゃひゃ」
 そんなにやっていたのか……
 そして、次の言葉に再びぎょっとする。
「そういや、うちも最初はあんさんみたいによく黙っていましたわ。ひゃっひゃ。ほんと始めの頃のうちとそっくりですわ。ひゃっひゃ」
 自分も長くここにいるとこうなってしまうのだろか? 半年後の座り位置は今と逆になっているのだろうか? 自分の中で否定も肯定も判断をくだすまえに、櫻はもう次の話を始めていた。
「そういやなぁいつも思うんですけども、死体死体って騒ぎすぎじゃないかと思うんですわ。いや真面目に」
 しかしこのバイトは最低でもあと三ヶ月はやらないとならない計算なのだ。もともとは一番高金利で一番取立てがきつかった業者のツテで夜間のビル内清掃をやった。
「ところで死んだ人間を生き返らせられたとしますでしょ? すると死ぬ前と同じ記憶とかがあるとかっていうと、そうでないと思うんですわ」
 その後もうちょっと高収入の何かの届け物のバイトを紹介された。たぶん危ない品物の運び屋だったと思う。
「毎日死体ばかりみているとそう思うんですわ。ひゃっひゃ。ここでな、ある恐ろしい仮説を思いついたんですわ」
 ところが急にその運び屋のバイトがなくなった。本当に唐突に。たぶん何かがあったからだと思うが、次に紹介されたのが、やっぱりというか当然というか風俗関係だった。
 それは絶対に嫌だと断ると、紹介されたのがこの仕事だった。
「死んだ人間を生き返らせても同じでないって事は、生きてるときの本体はどこにおるちゅうわけですわ。ひゃっひゃ。もっとも、生き返った段階で生年月日も何もかもめちゃくちゃな訳で、占い的にはまったくの別人てわけですわ。ひゃっひゃ」
 もう次はないと言われているので、この仕事で完済するしかない。
「――え? あ、ごめん……」
「ひゃっひゃ。いいこと思いついた。ここの七不思議の一つを教えときますわ。ひゃっひゃ」
 とても嫌な予感がした。聞かないほうがよいと強烈に感じる。
 年下の先輩櫻は、急に黙り、そしておおきなアクビをたっぷり時間をかけてした。やっぱり言わないのか? と思った。こういうことは昨日もあった。
 しかしフェイントだった。
「あ。そうそう。隣のプールの死体って知らん間に増えてますわ。ひゃっひゃ」
 よりにもよって、確信的な内容だった。洒落にならない。
 でも時間外に誰かが運んでくるかしているに違いないと思いついた。そうにちがいない。
 そんな疑念も次の言葉で打ち払われる。
「ひゃっひゃ。気になるんだったら、次に運び出す前に数えたらええですわ。さっきはプールに17体浮いてましたわ。ひゃっひゃ」
「え? いま?」
 この休憩時間中に増えているということなのだろうか? とてつもなく隣に行くことが躊躇(ためら)われる……。今日はもう搬送がないといいと思った。
「さっきのは男だったんで、今日はあと最低ニ回はありますわ。ひゃっひゃ。ところで――」
 この「ところで」も要注意だ。
「そのさっきの死体は、実は知り合いの男でしたわ。ひゃっひゃ。死んでたんですなぁ。ひゃっひゃ」
 もう勘弁してくれと思った。


(おしまい)



あとがき

 昨日と今日の昼休み+αで書き上げたうえ、誤字脱字のチェックもしていません。w まぁボチボチやっていきます。
 そもそも「試しにホラーものを書いてみるかな」とか思いついたんですが、いままでその手のをやったことなかったんで勝手が違い、自分でも「これのどこがホラーなんだ!!」と思いますですはい。w これを書こうと思った経緯についてはBlogを参照ください。
 しかし、普通は多少でも話の概略くらいは考えてから書き始めるものなんですよね。でも今回は「とりあえず気分転換だから適当でいいや」って。おかげで、登場人物のキャラが前半と後半で違うし。w
 ホラー小説自体を(怖いので)読んだことないんですが、まったくもって自分でもツボがわからないので、これを読んだ方がどう反応するのか見当がつきませんです。
 そもそも短編として成立していないんですよね。w

ふる・たいプ 2006/08/22  



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