No355

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昭和天皇の時代   昭和天皇の和歌

長い伝統と遠い未来


岡野弘彦 国学院大学名誉教授

文芸春秋・特別版昭和と私
平成17年8月15日出版




 皇室では長い宮廷文化の伝統を継いで、今も短歌のことをもっぱら和歌という。和歌も短歌も共に『万葉集』の中で使われている言葉で、同じものをさしている。

 昭和天皇が生涯に詠まれた和歌は、おそらく何千首にもおよぶだろうと思うが、今までに御製集に収録して発表されたものは7百首くらいである。それも、早い時期は新年の歌会始の御製が主であるが、昭和20年から急に歌の数もふえ、歌われる内容も多岐にわたっている。・・・

(昭和20年)・・・この時期の天皇は周辺の人と会話をなさるにも自在な言葉が出てこなくて、「え、そう」「あっ、そう」というふうなお返事が多かった。
 天皇はまず、歌いなれた和歌の表現を通して自在な言葉を得られ、やがて始まる地方巡幸などによって、世のもの言いに 馴れてゆかれたのであった。
 そういう意味で、この時期の天皇は新しい体験の中で、和歌の自在な表現に 新しい開眼を得られた。御自身でもその喜びを感じていられたに相違ない。

(昭和21年)
 ああ広島平和の鐘も鳴りはじめたちなほる見えて うれしかりけり(広島)
昭和24年
 しほのひく岩間藻のなか 石のした 海牛(うみうし)をとる 夏の日ざかり(葉山)

【「しほのひく岩間 藻のなか 石のした 海牛をとる 夏の日ざかり」と、天皇のお気持が、潮干狩に夢中になっている少年のように、無心におどっているのが感じられる。
 私はこの歌を口ずさんでいると、自然に胸に湧いてくる一つの連想がある。】として岡野弘彦先生が書かれたのは、昭和天皇と博物・民俗学者の南方熊楠とのお話になります。

 今から75年も前の昭和4年(1929)6月、戦艦「長門」に乗って西下した天皇は、かねて側近と計画してあった、紀州に住む博物学者、民俗学者の南方熊楠(みなかたくまぐす)とともに、ひそかに田辺湾に浮かぶ無人島の「神島(かしま)」に渡り、二人だけで粘菌類の標本を採集しようとされた。若き天皇の博物学への情熱による思い切った決断であったろうが、当時の軍人や役人からすれば、現人神天皇にあるまじき行動であったに違いない。

 熊楠はかつて、大英博物館東洋調査部員として、その異能と業績をイギリスでは認められていたが、狷介(けんかい)な性格で世に容れられず、紀州にこもってからは、郷土の自然や伝統をそこなう、政府の乱暴で画一的な政策に反対して、時に過激な行動があった。
 専門雑誌でそのすぐれた研究業績を知っていられた天皇が、熊楠と二人だけで離島の神島で、粘菌類の標本採集をしてみたいと思い立たれたのは、研究者としての止みがたい情熱からであった。それが実現したのは、当時の天皇の側近にも、また世間にも、まだ学問の自由を尊ぶよき時代の気運があったからに違いない。

 だがこの時の採集は、暴風雨の後で岩肌が荒れていて、よい標本は手に入らなかった。
 後日、熊楠は心にかなう標本を採集して、キャラメルの大箱に入れて献上した。
 さらに熊楠は神島での二人だけの体験を記念して、次の一首を詠んだ。

 一枝も こころして吹け 沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめでましし森ぞ

 熊楠の歌が、後鳥羽院が隠岐で詠まれた「われこそは新島守よ 隠岐の海のあらき浪風こころして吹け」を本歌としているのは言うまでもない。
 そして官憲の圧迫に抗(あらが)って、身を挺しても自然を守ろうとした熊楠にとって、天皇の神島への渡島は千万の味方を得た思いであったろう。

 その熊楠も昭和16年に世を去った。
 天皇は折につけて、熊楠のキャラメルの箱に入れた標本をなつかしんで側近に語られたが、昭和37年に和歌山県をおとずれて、

 雨にけぶる神島を見て 紀伊の国の 生みし南方熊楠をおもふ
 と歌われた。

 神島でのお二人の水入らずの標本採集から、33年が過ぎ、日本の国の運命にも大きな変化が刻まれたが、天皇の熊楠追慕の心は変らなかったし、天皇の海の原生動物の研究をはじめ、自然の動・植物への研究は、その晩年までたゆみなく続けられ、その体験から生まれたお歌も多い。
 昭和天皇のこうした自然への深い思い入れ、殊に地球の生命の母胎ともいうべき原生動物への永い情熱は、単なる学問好きにとどまらない。天才熊楠はおそらく人類の未来、地球の将来といったことを真剣に考えていたに違いない。

 神島には、「一枝も心して吹け沖つ風わが大君のめでましし森ぞ」のお歌を記した記念碑があるそうです。







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